今回は(も)、フシギなことをお話しさせていただきい。(ちょっと緊張している)
幼い子どもの頃、私は英語を話していたようです。
今となっては記憶がほとんどないくらいの、3~4歳くらいまでのことやと思います。
もう少し大きくなって、小中学生くらいのとき、祖母や近所の人たちに「kokoちゃんは、小さい頃、英語が上手やったんよ」と言われることが度々ありました。
それを聞くたびに、「へ~ABCの歌をうたってたんかな~」くらいに思っていました。
最近それを思い出し、先日、思い切って母に聞いてみました。

「私、昔、おばあちゃんとか近所の人とかに『kokoちゃんはちっちゃい頃、上手に英語をしゃべってたんやで』って何人かに言われたんやけど、英語の歌とか歌ってたん?」
すると、母はふっと神妙な面持ちになり、
「いや、もっとペラペラしゃべってたで」
と、申しました。
私は母のその表情と答えに驚いて、「えーそうなん」としか返せなかった。
子どもの頃、私は英語がペラペラやった。
子どもの頃、私は英語がペラペラやった。
なんで?どうやって?誰と?
それよりも何よりも、なんで今、全然喋られへんねん!ちょっとでも素質を残しておいてほしかったー!!
衝撃です。衝撃やけど、うれしい。
どうして今こんな話をしたのかと言いますと、私は昔から、神秘的なものに惹かれました。神話とか女神とか、妖精とか、星座とか、神社とか。目に見えないもの、ほんまにあるかどうかわからないものたち。
この「子供の頃に英語を話せた」エピソードを思い出して、私はおそらく幼い頃に、見えない存在と話してたんじゃないかなって思ってます。そう思いたい。

大人になるにつれて、「神秘的なものや目に見えないものは、生きる上で何の役にも立たない」「家族や友だちに話しても、変わってると思われるだろう」と決めつけて、ずっと自分自身で認めずに、隠して隠して無いものにしました。
今思うと、そんな状態で人とコミュニケーションを取ったところで、心からわかり合えたり、共感し合えたりすることはないよなぁと思います。
そして次第に、共感し合いたい、わかり合いたいと願うことさえフタをして諦めて、相手に合わせたり、何となく当たり障りのない会話をする癖がついていました。きっと相手にもそれは伝わってしまっていたやろうと思います。
***
そしてもうひとつ、私は非常に恋愛体質で惚れっぽいです。すぐ好きになります笑
さすが人生のテーマがパートナーシップなだけある、と今となってはそう思えます。
いつか自分にピッタリと合う王子様に出逢えると、結構本気で信じていました。
20代くらいで、どうやら世間一般の恋愛観はそうではないらしいと気がつき、そこもフタをした。
自分自身で自分の一面を見ないようにしている、そんな状態で誰かとお付き合いしても、結局不完全な関係です。自分自身が不完全なので。
***
この2年くらいの間、どスピリチュアルな自分をどんどん前に出すように訓練してきました。
何より、これが本来の私やと自分で認められるようになってきた。
そうすると、あ、この人なのかもという人に出逢いました。こんな私を理解して、共感してもらえるかもしれない。こんな話を日常的にできるかもしれない。その可能性を感じられる人がいた。
まだあまり話したことはないけれど、話した後に、これまでずっと埋まらなかった部分がスッと埋まる感覚がありました。まるでパズルの最後のピースが埋まるような感じ。こんな感覚は初めてです。
これからどうなるのでしょうか。私の人生の目的は達成できるのかな。そうやったらいいな。ふふふ。
ひゃー恥ずかしい。まさかブログにこんな話を書くなんて思ってもみなかったです。なんで書いているのかわかりませんが、自分にとって、とても必要なことやと感じています。
パートナーシップにおけるひとつの実験のような感じで、見守ってもらえたらうれしいです。
そしていつか、神秘的なことやファンタジーなこと、ロマンティックなことが好きな人たちと、そういう話をしてみたいな。それがきっと私にとってのコミュニケーションの喜びやろうなと思います。
ムフムフ

今回も、ここまでお読みいただきありがとうございました。

コメント